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理佳の魂

  • Author:理佳の魂
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    豪州・香港滞在後、中国・シンガポールで会社設立に携わる。
    TV・雑誌・新聞などで活躍する傍ら大学で講義も持つ。



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胡錦濤がもっとも困る党大会を狙ったチベットのデモ
チベットは古くから胡錦濤国家主席に恨みがありました。だからわざわざ党大会(日本の国会)に
あたる大事な時期に、デモを仕掛けたのです。

そのことを知ってか、胡錦濤は公式の大会に出席しても、訪中団の宇野治総団長(外務政務官)や
小林陽太郎最高顧問との会談でも一言もチベットの件に触れていないのは、不利になるからです。
チベット自治区(中国の占領下)におさめたのは胡錦濤だからです。デモの拡大=失脚につながる
重大な失敗です

1989年にラマ層らのデモを対応するため胡錦濤が自治区初期に派遣されたとき、強硬政策を
実施して鎮圧しました。今、国家主席までのしあがったのは、チベットの民族独立をさせなかった、
鎮圧させたことが手柄となっているのです。

一方ダライラマにとっては北京五輪前がチャンス。アメリカを味方につけ国際問題になれば、
チベットを独立も不可能ではないと考えます。でもそうなれば台湾も独立させなければならない。
香港を返還させた中国は、資源もない季節も厳しいチベットにこだわり続けたのは、台湾問題
などが背景にあるからです。

チベットに行けばわかりますが、インドの文化を強く受け、仏教寺院が多くあり、精神や論理など
大事にしていることが強くあわられています。

北京五輪を控えた中国には多くの問題が残されています。模倣品や食品問題以上に人権問題は
最大のボイコット理由になります。
台湾、チベット独立問題
スーダン内戦間接的支援問題
本当はこれら解決してから中国を五輪会場国に選ぶべきであり、IOCの選択も問われる
のかもしれません。


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インドを植民地化したイギリスは1903年にチベットに侵入し、首都ラサを占領。
1911年辛亥革命のあとは、インドに亡命していたダライ・ラマ十三世がチベットラサに戻る。
独立宣言したが1933年、死亡。
1951年チベット政府は中国中央政府と協定を結ぶ。
1959年、ダライ・ラマなどが中国の自治区化に反対したが、その後、チベット自治区が設置された。

最近ではダライラマが香港型の一国二制度を推奨したが中国は反対。国際問題として取り上げられるよう積極的に欧米を訪問していた。


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テーマ:政治・経済・社会問題なんでも - ジャンル:政治・経済

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